将来の不安は考えるだけ無駄
正直将来の不安はあるが、将来のことを考えるのは無駄であると思っている。
一ヶ月先のこともわからないのに10年20年後のことが分かるはずがない。
たとえ今ニートでも節目が来れば動き出すのが人生であり、なるようにしかならないからこそこうして今も生きているわけです。
少しスピリチュアルではありますが人間には自由意思が与えられているけど、だいたいは生まれる前に決めてきた計画通りの人生を歩むと言われています。
将来の不安にばかり気を取られて今を生きることが出来ないのは勿体ないと思うのです。
物事に対して一喜一憂するのは人間らしいと言えるけど結局はなるようにしかならないのだから悩んだりすることはあまり意味がないと思うようになった。
仏教では悟りを目指すために煩悩を無くそうとしますが、結局は思い煩うことによって人間は不幸になるのです。
周りに流されずニュートラルなメンタルを保ちつつ今ココを生きていこう。
嫌なことは酒でも飲んで忘れよう
生きていると嫌なことだらけだ。
僕は基本自宅警備員だけど働きに出ることもある。
今日も相変わらずキツかったが余計なことを考える気力もなくなるほど消耗するので肉体労働は精神的には楽かもしれない。
どのくらいキツいかというと高校生の部活並のキツさで息が上がり足がふらつく。
加齢による体力や心肺機能の低下も感じておりちょっと動いただけで息切れする。
綱渡りの状態で数ヶ月継続しているが何かを拍子にカッとなってバックレてしまう可能性もある。
でも家に帰ってストロングゼロの500ml缶を胃に流し込めば全て忘れることが出来る。
自由な生活とは本当に自由なのか?
定年退職したオジサンも結局は畑仕事したりなんらかの形で働いている。
定年退職やセミリタイア後の自由すぎる生活というのは張りが無く無気力や鬱になるイメージがある。
どんな人気者も将来はジジババになり大して差はなくなる。
私も自由な生活に憧れネットで稼ぐとかいいつつ結局労働からは逃れることは出来なかった。
そしてブログというものは専業ニートにならないと書けないというとこが分かった。
ニートなら外から余計な刺激が入ってこないから淡々とコンテンツ作りに勤しむことが出来る。
しかしながら今はSNSやスマホアプリ、動画の台頭でブログは厳しい状況。
自由を得る為にブログをやるなら専業でやったほうが良いと思いますね。